節分で渡辺・坂田家では豆をまかないのは本当?豆まきをしない理由とは

節分
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節分に近づくと、多くのスーパーでは節分の豆コーナーができます。
特に子供さんがいるご家庭では、鬼のお面をつけて豆まきをしますよね。

節分で豆まきをするのは、当たり前だと思っていましたが、渡辺さんと坂田さんの家では豆をまかないそうなのです。
その理由を、わかりやすく紹介します。

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節分で渡辺さん・坂田さんは豆をまかないのは本当?

節分で渡辺・坂田家では豆をまかないのは本当なんでしょうか?

少なくとも、私は知りませんでした。
渡辺さん、坂田さんという名字は、各クラスにいるぐらいポピュラーなお名前ですよね。

彼らは、豆まき行事の時どうだったか思い出せません。
「渡辺」姓の友人にも聞いてみたけれど、初耳と言われました^^

節分の日には、給食に豆菓子が出てたような気がするだけで、それ以上に印象に残る記憶はありません。

芸能人でも、渡辺さんが豆まきしています。

どうやら、雑学的な知識を紹介するテレビ番組で紹介されて、インターネットで拡散されたようです。

実際に、豆をまかない渡辺さんと坂田さんは、一部の渡辺さんと坂田さんのようですね。

豆まきをしない理由とは

節分で渡辺・坂田家で豆をまかないのは、鬼の方が寄ってこないからなんだそうです。

その話の元となる伝説は、『大江山絵詞』(大江山絵巻)というものです。
のちには、お話として面白くした『御伽草子』版が作られました。

大江山絵詞(おおえやまえことば)のあらすじ

平安時代。
一条天皇の時代に、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭うとう事件がおこります。
占いによると、京都の大江山に住む鬼の酒呑童子(しゅてんどうじ)の仕業と判明しました。

そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光藤原保昌らを鬼の征伐に向わせました。

頼光らは、鬼に八幡大菩薩から与えられた「神変奇特酒」(神便鬼毒酒)という毒酒を振る舞いました。
身体が動かせなくなった酒呑童子は、寝所で襲われて息絶えます。

 

この伝記は、その後御伽草子版となり、江戸時代に広まりました。
そのときに、元の伝記に脚色が加えられました。

御伽草子版のあらすじ

京の都では、大江山を拠点とした鬼が若い貴族の姫君を誘拐したり、側に仕えさせたりと悪行を働いていました。
鬼の頭は酒呑童子で、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従えていたのです。

帝の命により、
摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする、頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)の討伐隊が結成されました。

頼光ら一行は山伏(修行僧)と偽って、酒呑童子に近づき「神便鬼毒酒」(じんべんきどくしゅ)という毒酒を飲ませて成敗に成功しました。

なんとか生き残った茨木童子は、その後復讐のために渡辺綱を襲撃しました。
しかし、返り討ちに遭い、腕を切り落とされてしまいます。

その後、何とか切り落とされた腕を取り戻すことはできましたが、渡辺剛の強さは鬼の間で知れ渡ることになりました。

 

それ以来、鬼はワタナベ姓の人間は恐いので近づかなくなったそうです。
近づいてこないから、豆まきをする必要はないというわけです。

酒天童子については、その出生の秘密や幼少期について、たくさんの伝説が残っていてとても面白いです。

  • 新潟生まれであるとか
  • 母の胎内で16ヶ月を過ごして生まれたとか
  • 絶世の美少年であったとか
  • 女性の怨念が彼を鬼にしたとか

酒天童子が題材になっている作品は多いですね。
無類の酒好きとか、酒を進められて身の上話をするとかとても人間臭い鬼です。

まとめ

節分で渡辺・坂田家では豆をまかないのは、鬼が恐れて近づかないので豆まきの必要がないからでした。

多くの渡辺さん・坂田さんは、普通の人と同じように豆まきをしています。
ごく、限られた渡辺さんと坂田さんは、豆まきをしないのかもしれません。

昔、「酒天童子」という居酒屋によく行ってました…
たぶん、全国展開してたと思う。
今は、最寄り駅から姿を消してますね。

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